わたし達が暮らすこの世界の多くのひとは今、”愛”をすっかり忘れているように見えます
あらゆる場所で、大なり小なり争いや揉め事が起き、悲しみに胸を痛めるひとが大勢います
”天”には時間がなく、愛に満ちた場所だと言われています
そこでは多くの魂が、自分を使ってこの世界の誰かの内にある”愛”を思い出してもらいたい、と
緻密な計画を練って次の命を生きることを希望します
時間の無い中で練り上げた”魂の企画書”はとても精細です
いつ誰とどのような場所で出会うか、はもちろん
その時の天候、目に見えるもの、風の香り、全てを決めています
それらと繋がる時に心が震えるのは
そこから、自らの計画を思い出すようにというヒントなのです
ひとはこの世に産まれるときに自我を纏います
エゴ、と呼ばれるもので感情を掌ります
良くないものだとするひともいますが、そんなことはありません
自我(エゴ)がなければどのようにして”自分”と”自分以外”を区別することができるでしょう
問題なのは自我(エゴ)を認めずに無いもののようにして押さえつけてしまうこと
逆に、自我(エゴ)に自分の全てをコントロールさせてしまうことです
感情を使って愛まで辿り着きたいと計画しているのに
それらを無視してしまったら道は途絶えてしまいます
今わたしが何を感じ、どのようにしたいと考えているのか
そこを避けては愛に到達することはできません
喜びはひとが自我(エゴ)の部分で最も簡単に覚えることのできる感情
心地良い喜びにひたることは束の間の休息でもあり、ほんの小さなギフトでもあります
しかし愛はいつか消えてしまうような喜びとは違い、いつも在り、決して揺るがないものです
喜びは愛への憧れを呼び覚ますための感情だと言えます
怒りはひとが自我(エゴ)の好まないことが起きた時に覚える感情
喜びを取り去られるとき、誰かに傷つけられたと感じたとき、思い通りにことが運ばないとき、に感じます
注意深く”怒り”を見ていくと奥底に”痛み”があるのに気が付くでしょう
その痛みこそ、次のステップへの道標です
哀しみはひとが怒りについて静かに思いを深めた先に見えてくる感情
怒りで燃え上がらせた感情の炎が鎮まってくると見えてきます。
なぜ、どうして、もし、そのような言葉で出来事を見られるようになれば、しばらくその痛みを味わいましょう
辛いけれど、そこから逃げてしまうと何度でも同じ痛みが現れることになります
ここまでの3つの感情の道を深く味わうことで、最後の”楽”にたどり着くことが出来ます
楽はeasyと訳せる感情ではなく、平和、とか平穏、安堵、そのようなものであり、愛と呼ばれる感情です
わたし達の周りに起きる全ての出来事は感情を揺らすために起こります
そしてそれは自分が天にある時に計画したもので、他の誰の計画でもありません
だから答えは外からは決して与えられないのです
自分の内側に深く入る道、それを辿ることだけが愛への道となります