死刑制度
死刑制度

死刑制度

大きな事件が起きたことをきっかけに、子ども達と
犯罪と、それを起こしたひとについて話をしていました。
その中でも触れた重大事件を起こしたひとの死刑が昨日執行されたようでした

ひと言で言えば辛いです
何に対して?は、さまざまに入り組んでいるので簡単には書くことが出来ませんが
わたしがお伝えしている「道」の観点から紐解けそうなので
そこからの視点で死刑制度について少しお話をします

前もって書いておきますが
これからわたしが書く内容は非常にセンシティブなものであり
広く社会に受け入れられるようになるのはおそらく
わたしか家族の誰かが被害者という立場になってから
変わらず同じことを言う以外にはないのだと理解しています
今のタイミングではどなたかを悲しませてしまうものであると理解していますが
一方でこれは大切で、動かせない真実なのですから書き留めておきたいと思います

死刑制度は言うまでもなく、ひとの死を持って
他の誰かを死に導いたことへの対価とするという考えから作られた制度です

死は悪、という考えが大前提であること…
(辛いですし、誰もが好感を覚える答えではありませんが)
実はそこが真実と最も乖離している、と言わざるを得ません

死ぬことは源の光への回帰です
どんなに辛そうに見える最期であっても
逆に、安直に見えるそれであっても
その有り様はこの世にまだ生き続けるわたし達への重大なメッセージではありますが
実は本人の魂は、どのような条件にも縛られることなく光に統合されて行きます
この世からあの世へ居を移すとき、それらは神さま視点では全てが祝福なのです

この事実は揺るぎないものなので、わたし達にはどうすることも出来ません
おそらく諸宗教が崇める対象である全てのものはそれを知っていますが
残念ながらそれ以外のひとは知らないか認めたくない事実ですので
どこの宗教に於いてもこの真実を聞くことは出来ません
全ての魂は源の光であるエネルギーに統合されるのですから、死んだ後に地獄はない、ということ。

地獄はあります。
けれどもそれはこの世を生きる間にこそ在るのです。
その辛さ苦しさ、身悶えするような炎の中に身を置くことを死後も続けたくないですよね?という
いわば誰かが”生きるひとへの戒め”としてそれを利用したのかもしれません
もちろんそれは脅すために設定されたのではなく、より良く生きて欲しいからそうしたのであり
それが口伝されるうちに何かしらの意図を纏ってしまっただけなのです。

死刑制度は
愛する方の魂をあの世へ手渡したひとを
この世でのお役御免ということで同じくあの世へ送り出すという手順です
それは罰のように見えていますが、引導を手渡す儀式でしかありません
あなたはこの世での役目を終えました、という単なる宣言。

わたしの個人的な感覚では
重大事件を起こしたひとは、残りの人生を賭してそれらについて考えを深めて欲しいと思っています
もちろんどの程度どのように何がどうなるかは誰にもわかりませんし
のうのうと生きさせるのは嫌だ、という感情がわくことも当たり前に理解しています
それを踏まえてもやはり、事件を起こした人というのは魂に何某かの課題を持っているわけですから
生きる間中、それと向き合い続けて欲しいと考えます

獄中という厳しい制限のある中で、娑婆にいたような逃げ道は塞がれ
想像以上に辛い時間を過ごすことになるのは果たして死刑よりも安楽なことなのでしょうか

罰の正体とはいったい何でしょうか。
相手を”永遠”に手渡してしまう前に少し立ち止まってみたいと考えてみたいと思います

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