好き勝手、自由気ままに振る舞う子ども達を
どうしてありのまま受け入れられないのか、と
大切な友人の前で泣いたのはほんの数年前です
それまでの長い長い間わたしは
あーだこーだと子ども達を縛りつけて
語ることも恥ずかしいことばかり繰り返しました
(まあ今だってそんなもんだけどさ)
思うに、超がつくクソバカ真面目なんですね
ほどほど、とか良い感じに、とかが出来ない
これは別に誰かにそうさせられたという記憶はなくて
幼い頃からそうだったらしいです
セーターの襟ぐりがしっくり来ないから着ない、とか
布団の肌触りが変わったから腹が立つとか
本棚の本を背の高さで揃えるか奥行きの長さで揃えるかを悩んだり
とにかくこだわりが異様に強い
棚に並んでいるものを少しでも他の誰かが動かせばすぐに気がつく。だから
映画「ミザリー」を観たとき、恐怖よりも強い共感しかなかったな(笑)
とまあそんな感じで
普通のひとからは”異常”なこだわりが多方面にアンテナを張っているわけで
特にダークサイドと呼ばれる世界については
自分なりに、ではありますが
そこにいる人々を含め環境などを探究したものです
そんなわたしの子育ては悲惨でした(子ども達ごめん)
新生児期の母乳を飲んだ量は体重を測るものなのだと
日赤で初めての出産を体験したわたしは勘違いしてしまいました
(病院は管理するためにデータを取っていただけ)
果たして退院と同時に体重計をリースしてベッドの近くに置き
3時間毎に赤ちゃんを起こしてオムツを替えて体重計に乗せてからいざ、おっぱい。
起こされてギャン泣きの赤ちゃんに
もうちょっと待ってね、ごめんねと言いながら左右のおっぱいマッサージw
飲ませ終えたらうとうとする赤ちゃんをまた体重計に載せて記録
もしこの間にうんちなんかしちゃったら…
体重が変わるから飲んだ量がわからなくなる!と顔面蒼白
もう…バカじゃなかろうか。
そんなこんななキ○ガイめいた子育てを何十年も続けたけれど
子ども達は幸い、わたしより遥かに強く(笑)
ママの目をぬすんでやりたい放題、好き放題
この、バカちん!と言いたいやら
なぜ何かを探しに彷徨うのか!と思うやら
大切な子だからこそ苦しくて悲しくて辛くて
そしてお友達の前で泣いた、というわけ(長)
その時なんて言ってくれたかは正直覚えていないんです
でもその後いろいろあって
子ども達をみーんな置いて出て行く!と宣言したときも
「え!」とは言っていたけれど
今振り返っても「あの時のreicoちゃんも、輝いていたよ」と言ってくれます(恥)
少しずつ、こだわりを手放すことを丁寧にさせてもらったけれど
これはもう自分が自分に許可する以外はないんです
別の大切なお友達が例えたのがすごくわかりやすい。
「アクセルとブレーキを思い切り同じ強さで踏んでいるようなもの」
目に見えない世界を知ると
ああ、なんでもありで良いんだなーがわかるようになります
だから、怖くて思い切り踏み込んでいたブレーキを少しずつ緩められる
そうすればアクセルだってそんなに強く踏み込まなくったって動き出すでしょう
こだわりが強ければ強いほど力いっぱいブレーキとアクセルを踏み込むっていうイメージね
そのこだわり、というのが何処から来ているのか
その尻尾を捕まえることが出来れば
そこからするすると、自分を苦しめているものが見えて来ます
たくさんの異様なこだわりを持ったことも
全てを理解するためには必要でした
それを手放せても、それが在ったことはわかっている
だからその気配がすぐわかるんです
たくさんのおかあさん達がもし苦しんでいるなら
その解放へのきっかけを手渡せたら、と今は考えています