過去日記が出てきました
過去日記が出てきました

過去日記が出てきました

2通、どうやら大切なようですので是非。

探し始めたとき、それは既に目の前に在りますが
知識や想念によってその尻尾を掴むことは出来ません

ずいぶん前に、神さまは愛を知りたかったから世界を作ったと聞いたことがあります
それは知識として得たいということではもちろんなくて
例えば、完全を知るために未完全があるような関係性を持てるものがないという意味のようです

ここのところ、神さまって何だろう?みたいなことを思う方に出会うことが増えました
神さまを知るためには目の前の出来事をひたすら体験してくださいねとお伝えしています

わたし達、ひとは自由を生きています
不自由だと感じているひとは不自由でいるという自由を得ていますし。

神さまは完全な方なのにどうしてご自身を表すのにひとをお使いになられるのでしょう
逆の考え方を用いれば分かりやすいと思います
完全である方がひとにご自身を表すとき、それはひとの自由の妨げになるからです

知りたくないひとの知りたくない自由を尊重されたと考えてはどうですか?
だから、それはどんな存在であろうかとあなたが考え始めること
それ自体が存在の動かし難い証左になるのです

とはいえそれを目に見えるものとして、肌で感じるものとしてとらえたいという欲求を覚えるのも
肉体という感受体を得たわたし達に与えられた恵みです

どのようにすれば感じられるか?
神さまのお作りになったものを味わえば良いのです
どのように?
自分がこの世に生まれ落ちることを決めたときに準備した
肉体という大切な贈り物を使って。

なぜ肉体で味わうのか、お忘れですか

わたし達は、天にあるときには源の神さまとの境界を持っていません
全ての魂がそうです
「自分」と「自分以外」はこの三次元に産まれる特権です
自分を使って「自分以外」に愛を思い出してもらうという
この上なく大切なミッションの遂行のために来ることを思い出してください

肉体に与えられた五感以外はサポートのために持ってきましたが
本当は五感さえあれば伝えられるから五感なのです

いつも言っていますが天には時間という制限はありません
五感だけで足りるということがわかりきっているからそれを備えて来ています

肉体の何処か、または五感のいずれかを持たずに産まれてくる魂が尊いというのは
ここが根拠となっています

彼らは限られたその道具さえ使わずに
他者が愛を思い出させることが出来るからそのように産まれて来ます

彼らを欠損がある者として見下すひとは愚かです
彼らは”もっと豊か“なのです

というように
少しずつ思い出していただきたいのです
目の前の誰かに“欠点”を見つけたら彼らのその部分を通して
あなたの中のそこに気づくように。

「あのひとは思いやりが足りないわ」
足りないものは“思いやり”
思いやる気持ちって、どんなもの?想像力?
わたしにそれはある?
あるならそれをどう使っている?
どうして彼はそんな状態でいるのだろう?
彼にそれが欠落しているのならわたしに何かを求めている?
わたしはそれに応える?
または応えないことを選択する?

自由です
わたし達はいつも自由

気づいても良い、気づかなくても良い
向き合っても良い、なかったことにしても良い
愛しても良い、憎んでも良い

同じように相手も自由です
わたしを受容れることも、拒絶することも

そしてそれらがすんなり自分の中に染み入ること
それが神さまを知った、ということになります
どう?腑に落ちない?

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