それは鏡のようなものだ、と言われますが
その使い方がちょっと違うんじゃないかなと思うことがあるので
備忘録として書き留めておきます
例えばそれはヒステリックに誰かを叱りつける先生。
それは鏡ですよと言われ
ああ自分の中にもそういう部分があるのだなと
我が身を振り返るきっかけとする
それもまあ良いでしょう
でもそれだけだと、自分の”統合”をますます遠ざけることにもなりかねません
他者が示した”嫌なこと”が自分の中にあるとして
それをどうすれば良いかを知らない人が多すぎるからです
下手をすれば自分のその部分を裁いてしまいかねません
好ましく無いことをしてしまう自分を律するとか排除するとか
そういう動きになってしまえばますますあなたは分離して行きます
じゃあどうするか?
目の前にいるそのヒステリックな先生にあなたがなれば良いのです
それは鏡の中に入ってしまう、ということ。
もちろん物理的にそうするのではなくて(当たり前か)
目に見えない世界、つまりあなたの思考の中で
鏡として置かれたそのひとと自分を入れ替えれば良い。
さあ
あなたは何某かの理由でイライラが募り
ついつい目の前の誰かに対してヒステリックな態度をとってしまいます
その時相手が、あなたがとった行動や表情、声がけをしたらどうでしょう
思い出してみて下さい
うっわ、うっざ!出た!キモー、サイアク。うるさいなー
ってそんな感じだったかもしれませんねw
次はその場面を少し巻き戻します
あなたがギャーとヒステリックに叫んだ時
真っ直ぐにその瞳を見つめ返して「ごめんね」と
優しい素直な声で相手が答えたとしたら?
そのどちらかの相手を選ぶならあなたはどちらを好ましいと感じるでしょうか
その答えを誰に告げなくても良いのです
ただ、あなたの中にそれは既に在るはずで
ああやっと気がついてくれたと、あなたの心は躍るでしょう
そしてあなたは鏡の世界からまた自分に戻り
心が喜ぶことをすれば良い、ただそれだけです
その積み重ねが不思議なくらいに相手を変えるのです
相手を変えることを考えていないからこそ、変える力を持つ
それがこの世界と目に見えない世界の関係の法則
鏡として相手が現れたときの身のこなし方の方法です