大好きな斉藤和義の歌う「後悔シャフル」
“あの時ああすれば”がずらーっと並びます。
ああ、バカな妄想だと言いながらやっぱりそこに戻ってしまう
こんなこと、ありますね
過去の一点を思い返しては”ああすれば”が渦巻く…
さて、時間というものは未来から流れてくるのだ
ということはご存知でしたか?
この世に生きている限りわたし達は常に新しい”時”を体験し続けます
それは、大きな大きな輪のどこかに自分が立っているようなものです
(もちろん、それは大きすぎるので輪になっているようには見えません)
この世にいるすべての人の身の上にそれは等しく関わりますが
その感じ方は人それぞれですし、そのときの状況によって変化します
楽しい時は一瞬のようだ、とされるのがそれです
苦しみが永遠のように感じられるのも同じことですね
で。
過去はすべて過ぎ去るものですが
“あのときああすれば”は通り過ぎた過去を見つめている
つまり、後ろ向きになっているということは容易に想像がつきます
時が前(未来)から流れてくるのに後ろを向いていたら…
素敵な時も出会いも何もかもを見落としてしまう
…頭ではわかります。
だけど…でも…やっぱり”あの時ああすれば”が出てくる。
その理由が何なのか考えたことがありますか?
それは、過去は取り戻せないものだとわたし達が知っているからです
起きてしまったことはそれとしてもう動かせない。
だけど、でも、やっぱり。ですよね
安心して欲しいんです。
わたし達にとって本当に大切なものは
同じようにまた未来から巡ってくるからです
むしろ伏線回収を嫌って避けたところで
過ぎたはずの”ソレ”が行く先のずっと先にまた見えてくるのです
人生という大きな時の輪は
だらだらと続く舗装された真っ直ぐで平坦な道ではありません
のぼりくだりがあり、まわり道があり、穴が空いていることも
泥の道、でこぼこ道、美しい草原、何でもあります
避けたかった泥道はまたあなたの目の前に置かれるでしょうが
けんか別れした、本当は大切なあの人もまた
あなたに必要ならば目の前に現れることになります
現れなかったら?それはもうその課題はクリアしたということ
もしあなたが
誰かを大切にしなかったのだとしても
口にする言葉を間違えた、不適切な態度をとった
それらは全く自分らしくなかった!と胸を叩いたとしても
それにはそれの意味があったのだと信じて良いのです
わたしも子ども達にひどいことをずいぶんやってきました
そのため今でもその傷に苦しんでいる子もいます
だけど、だってもう取り戻せないもの。
けれど、その時のわたしが持っていなかった
“良くなかったことを手放す勇気”を今はもう持っています
それはわたしにしかわからない、けれどとても大切なことです
過去のことを揶揄するひとは消えないかもしれません
けれど、それはもう過ぎたことだと「わたし自身が」認めれば
じゃあ今、そして明日、わたしはなにをするのか
かつての過ちを繰り返すのか繰り返さないのかを選ぶことが出来ます
後ろを振り返らず
前から流れてくるものを受け入れるように変化する
それこそが実は”過去”がわたし達から見える唯一の理由なのかもしれません
本当に不要な過去はとっとと記憶から滑り落ちて行きますものね。
あれー、んなことあったっけー。