面白い!
面白い!

面白い!

ここのところ、突然気になるなーというひとが浮かんできて
どうしているかなとぼんやり思っていると
当の本人から連絡が来る、ってことが増えました
すごーい(笑)

で、だから?ってことなんだけど
知らない(笑)
これがなんなのかわからなくても
必要なひとと出会うということはわかっているので
今日も今日とてわたしらしく
ただただそれだけ
あとは目の前の全てを楽しむこと味わうこと。
たったそれだけでまたひとつ、
今日という日が出来上がるんだなぁと感慨深く思います

今から20年以上前
お世話になったスロバキア人の神父がいました
彼の人生はとてつもなく深く濃いものでしたが
こちらから問うまでは何も語らない不思議なひとでした

まだスロバキアがチェコスロバキアだった頃
戦争で神父達が一斉に収監されたことがあったそうです
夜中に監視の目を盗んで脱出し
国境の川を歩いて渡りポーランドに逃げた、と。
自分の後ろから来たはずのひととはその日を境に
二度と再会することがなかった、と。
なぜ自分が命を繋がれたのかはわからないと話していました

たくさんのことを相談しました。
この世のものには名前があるけれど
それがないとしてもそれはそれとして存在するわけで
なぜ神に名がないのかと問うひと達に対して
名がそれをそれとして固定するのではないのではないか?という
この考えはカトリック的にどうなのか、とかね。

そんな中、彼はひとの人生について話してくれました

一日はモザイク画のひと欠片のようなものなのだ、と。
柔らかで穏やかな日もあれば燃える日もある。
なぜこんな日が、と思うような辛く暗い日が続くこともあるだろう。

この世を離れ天に還るとき
神さまと共にその毎日を振り返れば
見事なモザイク画をあなたは目にするだろう
その美しさの何処にも不要な日などなく
あの黒い日がどれほど全体にとって重要だったかも
そのときにあなたは理解する

この世で生きるということは
はて?
なんぞや?がたくさん目の前に現れるということ。
それらひとつひとつの意味を理解する必要がなく
ただそれがそれであるのだとすれば良い
なんかよくわかんないけど、幸せ
それで良いよねーって。

今日はそんな朝。

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