わたし達は常に最高の幸せに包まれている
わたし達は常に最高の幸せに包まれている

わたし達は常に最高の幸せに包まれている

なーんてことを頭で理解しているつもりでも
なっかなか感情がついてこないってこともあります
というかそんなことだらけ、って方が合ってるかな

だけどじーっと心を落ち着かせてみると本当のことがわかります

おかあさんになって30年が経ちました
いつも子どもまみれで生活しているから
“たまには独りになりたいわ”って思っていました
実際、子ども達をぜーんぶ置いて
家を出て行こうと真剣に考えたこともあったし。

ほんとのほんとに、そうするつもりだったのに
…結果、そうはならなかったのね。
いつでも実行出来たんです、環境は整っていた。
でも、そうならなかった

それについてちと考えてみました

家から巣立った子ども達のことを思うことはほとんどない、と前の記事に書きました
それぞれが意識して飛び立ったというのは幸せでしかありません
だって彼らは自分たちなりの明日を夢に見ているわけですから。

わたし達は”そのために”子どもを預かったと言っても決して過言ではないと考えています
次に繋がって行きたい魂に肉体を貸し、その日までを見守ることが役割。
彼らを手助けしようとかアドバイスしようとか…まして躾がどうこうと言う必要は全くありません

え、躾が不要ってどう言うこと?って思う?
わたし達親が”美しい”と感じる所作、言葉遣い、他者への配慮
それをもっていれば
子ども達は自ずとそれらが良いものだと判断すれば身につけて行きます
だからこそ子ども達はたくさんのひとに出会うべきなのです

辻のお地蔵さまに手を合わせるおばあちゃん
せっせと畑仕事をするおじいちゃん
現場仕事のお父さん、デスクワークのお父さん
働くおばちゃん、赤ちゃんのお世話をするおかあさん
お店のひと、行き交うひとの群れ、高校生のお兄ちゃん、お姉ちゃん。
出会ったものの中から本人にとって好ましいものを彼らはピックアップして大人になって行きます

子ども達に対してわたし達が出来ることは
自分のやれることやりたいことをやり続けるってことくらい。

じゃあわたしのやれることってなんだろう
やりたいことってなんだろう

それでわかったんです
子ども達が全員、それぞれらしく巣立って行くのを見送るまで
わたしはここでおかあさんとして暮らすことが最大やりたいこと。
それ以外のことはそれよりずっと階層が下だってこと。

いつか子ども達を置いて旅に出た夜
とてつもなく怖い夢を見たことを今でも覚えています
子ども達が苦しんでいるのに助けることが出来ない夢。

わたしがどんなに子ども達を思っているか
それはいつもは自分の欲だとか感情に隠れてしまいがちですが
何かのきっかけさえあればそれを自覚することが出来ます

冷たい風がふき荒れる夜
暖かいベッドですやすや眠る子ども達を眺めて
他に何も考えなくて良い幸せをかみしめています

それが何だってんだ?と時には感じるような当たり前、平凡なこと
それが実はわたし達ひとりひとりにとっての最高の幸せなのかもしれません

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