欠損しているという完璧
欠損しているという完璧

欠損しているという完璧

中島みゆきが大好きです
彼女の”むき出し”さはそんじょそこらじゃないもの。
とはいえわたしが彼女を知ったのはほんの数年前

長女の同級生の男の子が彼女の大ファンというかオタクというか
中島みゆきを深く知るまではそのオタクぶりが怖いくらいでした
わたしよりずっと若いのに、ね。
わたしの名前が「れいこ」なのを知って驚くほどでした(懐かし)

推しに推すものだからちょっと聴いてみよっかくらいの気持ちで
初めての中島みゆきがDVD「歌旅」
ヤバいよね、なにこの女神。
今からだいぶ前とはいえ当時55歳。

美しいだけでなく、どこまでも泥臭くてそれでいて高貴かつキュート。
なんなのこのひと!すぐにドはまりしました(笑)

好きが過ぎてなかなか進まないのだけれど
彼女は確実に”知ってしまっている”ひとだってことは確かです
彼女と同じ時代に生きられたこと
ぎりぎり、リアルに歌う姿を見られたこと
心から嬉しく感じています

若い頃の美しさと粗削りな危うさは
そりゃ恋もするわよね捨てられもするわよねってところだし
それがいつの頃からか聖母のようなスケールの優しさを纏い。
彼女がいてくれるからわたしだって頑張れる
大袈裟でなく、本当にそう感じています

誰よりも痛いから、辛いから寂しいから
他の誰かは少しでも幸せでいて欲しい
そういう女性ですよね、きっと彼女は。

そんな彼女は幼い頃
何も考えずに空を見上げて何時間も過ごすような
マイペース全開の女の子だったそうです
それ故に、大多数の子がとっととスルーすることも
ひとつひとつ味わっていたのでしょうね
本人なりには焦りのようなものもあった、と
「とろ」の歌詞に触れて知りました

わたしからすれば羨ましい、の限り。
斉藤和義も大好きなんだけど、ふたりに共通するあの
不自由さ息苦しさを丸呑みにする自由さってのは何なんでしょうね
そりゃ、マイノリティでしょうけれど…
だからこその価値を感じずにいられません

それに対してわたしなんてほんとにゴクフツーの小さな人間です
だけど、それでも良いんだと少し思えるようになったのは
わたしのそばにずっといてくれる存在があるから。

中島みゆきの歌は
特定の誰か=ひと(男性)を恋焦がれているようにも聴こえるのに
その実もっと大きな存在を求めているのかもしれない
それに気づいたとき
わたし自身もまた同じように
人間としては満たされないものがあったとて
その欠損こそが完全さの証しなのではないかと
そんな気持ちになって嬉しくなりました

人生とは
何かを得るための時間ではなく
誰かを愛するための時間なのです
〜フランシスコ教皇のことば〜

欠けているからこそ美しいのかもしれませんね

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