いぇーい(軽)
いつか何かのために生きたい、と
半ば焦燥感のような追い立てられるかのような
このままでは何かが足りない、と
そんな気持ちがいつも心の何処かで
いつもはひっそりと気配を隠しながら、けれども
ちょっとした刺激を受ければ
時には周囲を巻き込んで爆発しながら存在し続けていました
そのあまりのしつこさとエネルギーの大きさに辟易して
わたしから離れてくれ、と渾身の決意をもって
拭っても振り払っても、無視しようと努めても
決してそこから動くことなくいつもわたしを苦しめていました
だけど、やっとわかったんです
“わたしを求めるひとは引も切らない”
そんな言葉の本当の意味。
誰かを愛するということは
求めるひとに丁寧に向き合うこと
立ち止まって静かにそのひとを見つ返すことでした
数年前、わたしを取り巻く目に見えない世界を見たひとが
「みんながあなたを求めているというのに…」と
辛そうに声を上げたときも、その意味はよくわかりませんでした
応えているつもりでその実わたしは
遥か遠くの誰ともつかない誰かを捉えたくて
目の前にいることが”あたりまえ”の人たちのことをぞんざいに扱っていました
手放そうとさえしたことも何度もあります
それはひとだけではなくて全てのもの、時間、そして自分の命さえ
どれについても同じでした
イマココをかなぐり捨ててわたしは何処へ行くつもりだったのでしょう
ただ、愛のためだけに生きていると言おう!
滑稽かもしれません、或いは壮大すぎる?
いえ、愛はすぐ目の前にさまざまな形で存在しています
それを愛だと認識するだけでそれらは命を得るのです
「全ての命は愛によって機能する」とは
尊敬する画家のコオロギタカシさんの言葉です
お時間を割いて下さり、興味深いお話を伺った日
わたしは愛が何なのかに気がつきました
「そうですね」とコオロギさんは応えて下さり
わたしはいつもそれに包まれていたことを知りました
かつてわたしを守った愛を今度はわたしが守りたいと思います
それがどういうことなのか、それは
毎日の中にどれだけ愛を見つけられるか感じられるか
誰かにそれを伝えられるかということ
わたしの可愛い子ども達ひとりひとりが
この世界にとってどれほど大切な命なのか
わたしはそれを伝え続けたいと今ほど強く感じたことは
もしかしたら一度もなかったかもしれません
これが始まりでも
これがお終いでも
ただ愛のためだけに生きたと
胸を張ってこの世を後に出来るように
これからはもう少し丁寧に、ゆっくり
時には立ち止まったりしゃがみ込んでみたり
そうやって生きていきたいなと思います
ただ、愛のためだけに。
ちょっぴり恥ずかしいけど、まいっか。