主の降誕、おめでとう。
クリスマスの本当の意味を知ってるかい?それは
あなたの中に小さなキリスト=神さまの光が
産まれる=カタチを持ったことのお祝いの日
つまりそれは自分が自分を受け入れられるようになること
寂しさに震える自分をあたためることができるようになる日のこと。
だから、おめでとう。
すべてのひとが、自分の中に既にあるぬくもりに気がつきますように
でさ、今年は初めての試み
「家族でクリスマスのお祝い会をしよう!」と
長男のところの嫁ちゃんが、酔った勢いで言い出して(笑)
→後日、そのことを本人が全く覚えていないことが発覚(‘ω’)
これまで考えたこともなかったんだよねそんなこと。
もともと、あんまり好きじゃないのパーティとかってやつがね
だからこそそういうの音頭とれるひとが家族になったのかもしれないね
で、結局
ジジババ、長女家族、長男夫婦、次男家族、四男と恋人、五男、三女、四女、六男、五女、六女
総勢18人が集まって…飲めや歌えのどんちゃん騒ぎとなりました
それぞれが何某かを持ち寄って、わたしもあれこれ作って
ジュースだワインだビールだなんだとまあすごい騒ぎで
最後の長男夫婦を見送ったのは日付が変わってからでした
うーん。大家族のエネルギーやばい(笑)
これはやっぱり全員集まれたときには
家族の写真撮ってもらわなくちゃと改めて思いました
友人の写真家はわたしの10回目のお産をカメラにおさめてくれたひとで
彼女の写真のコンセプトは「今」を切り取る、ってこと。
その切り取りのセンスがほんとうにあたたかい。
「ちゃんとしなくていい」七五三、という彼女の活動の軸になるようなテーマがあるのだけれど
七五三という、人生における大切な節目を(我が家はスルーしたけども。)
普段とはちょっと違う、どこか引き締まった気持ちで迎える家族と
そんなこた知らん、とばかりに(笑)
我が道をひた走るチビさんとのドタバタをぱちり。
草履をはきたくなくて拗ねる子
お姉ちゃんの口紅をちょいと拝借する妹
カメラが向くたびにヘンテコなお顔をしちゃう弟
てんやわんやのお父さん、笑顔のお母さん、見守るおじいちゃんおばあちゃん。
時間がどんどん重なるたびに、そのときの思い出が深い味わいを増す、
そんな写真を撮るひとなんだよね
いわゆる綺麗におさまることよりも
おさまりきらない、目には見えないなにかを切り取るひと。
彼女の口ぐせは「おもしろーい!」
出産のための検診のときも
部屋のリフォームのためにわちゃわちゃやってるときも
我が家の”通常運転”を面白い、面白い、と切り取ってくれました
普段はどうしたって他者からの視点ってさ普段持ち合わせていないから
今回はお嫁ちゃんがそういう役割を担ってくれたんだな、と思う。
長男の嫁ちゃんはわたしの5つ歳下。
厳しい医療の現場でガツンとひとりで生きてきたひとで
そのくせあちこち抜けていて、本当に可愛い。
彼女なりに、我が家に受け入れられるかは不安だったんだと思うけれど
みんな、彼女のことが大好き。
将来はふたりでおんなじ老人ホーム入ろうね、なんて
冗談とも本気ともつかない約束したりなんかして(笑)
わたしの人生、出たとこ勝負。
デタラメ出まかせで最高に幸せだとつくづく思う
もともとはあーだこーだ考えたいタチだけど
考えてるつもりが全然そうでもないという。
結果オーライ、全てうまく行っているなと思う
数えきれないほどの秩序を内包する混沌
混沌の中にこそ全ては在る、ということなのかもしれないね