この前、隣のデスクの女の子と
どんな男性が素敵だと思うか?という他愛もないお話をしていました
で、真っ先に思い浮かんだのは岡田斗司夫さん。
わたしはもともと、いろんなことを考えるのが大好きなのですが
それはとても受動的な楽しみでもあるし
そもそも何かを面白おかしく表現する能力は自分にはないので
誰かの話を聞かせてもらって
それについてあーだこーだ考える、というのがすごくラクなんです
岡田斗司夫さんのことをよく知っている訳ではもちろんないけれど
知識量、分析力、伝える力が尋常じゃなくて、かつ、
それが楽しくて仕方ない風に表現するところがとても素敵だと思います
これまで身近にいた方で、とっても愉快なひとがいて
そのひとがいつも斜め上の切り返しをしてくれるのが好きでした
そんな時間がまたいつか来れば良いな。
さてそんな岡田斗司夫さんですが
我が子に対して過度な期待=ストレスを与える親に対してなかなか厳しいことを言っています
子どもは0歳〜3歳が圧倒的な可愛さであるから
この世に生を与えた親に対してはその期間に恩を返し終える、と。
これは全くわたしも同じように感じています
大切な友人の写真家さんはそれを別の言葉で伝えてくれます
彼女は写真家ですから写真を撮ります
彼女の写真の特別なところは「何も足し引きしない」ところにあります
ありのまま、あるがまま、そのままをその瞬間に切り取っています
それは、昨今流行の「映える写真」とは一線を画す彼女独特のの写真への視線ですが
これはその瞬間から先、つまり未来に対して成長し続ける写真を撮る秘訣でもあります
何気ない毎日をカメラにおさめることを日常に取り入れてみて下さい、と彼女は言います
反抗期真っ只中の子に対しても、同じようにありのままを切り取る。
背を向けて呼びかけにも応えないときでも良いです
そして大切なのはそれをプリントアウトすること。
いつかの未来にその写真を振り返るとき
岡田斗司夫さんの言葉の意味もきっとわかると思います
わちゃわちゃ遊ぶ我が子達の写真を撮った時
まだ赤ちゃんである下の子の圧倒的可愛さに霞みがちな上の子も
10年後に見返すとやっぱりとてつもなく可愛いかったことを思い知らされます
そしてその写真を、すっかり大きくなったその子と共有するとき
なんともいえない幸せな時間がわたし達親子の絆みたいなものを
また少し強めてくれる気がして幸せな気持ちになります
わざわざ紙に焼かなくても良いのではないかと考えたこともあるのですが
データで保存するだけでは伝わりきらない何かを紙は持っています
デジタルフレームに画像データを表示させるものもありますが
なぜか紙の写真を木のフォトフレームに入れたもののような力は無いんです、不思議ですね
同じような話ですが
わたしは普段、本を読むのが好きだけれど不思議なことに電子書籍が読めないのです
紙をめくりながらだからこそ、世界の中に深く入ることが出来るような気がします。
学校の教科書をデータ化しようという動きもあるようですが
それはしない方が良いと個人的には感じています
何故か?はわからないけれどそんな気がする。
そんなとき、岡田斗司夫さんがそばにいたらなあと思います(笑)
あーでこーでそうだからだろうね、という蘊蓄を聴かせてもらって
それに対してわたしなりにあれはこれでそれだからなのか、と考えに耽られたら楽しそう