子ども達がおっきくなって
子ども達がおっきくなって

子ども達がおっきくなって

小学生の頃からよーく知っている子が成長して
大人の顔になったのを見るのは何より嬉しいものです
それも、我が子ではなくて仲良しだった子たち。

今日、勤務先に電話がかかってきたのは
Wi-Fiには接続出来ているのにネットに出ていけない…
テザリングも試したけれど解決しない、そんな端末のご相談。

丁寧に状況を伝えて下さるのは助かるけれど…
「恐れ入りますが、学校と先生のお名前を聞かせていただけますでしょうか?」
あ、すみません!と名乗られたのが我が家の長男とずっと仲良しだった子の名前。
思わず「あ!」と声が出たわたしにちょっと戸惑う相手。
もちろん勤務中なのであーだこーだは話せないしね(笑)

小学生の頃から「学校の先生になる」と言っていたその子が
本当の本当に先生になって、こうして同僚のためにヘルプに電話をかけている
その姿を思っただけで胸がじんわり温かくなるのですが
長男がその子にその話をしたところ
「え、おまえのママの勤務先ってマジで学校からかけるヘルプなんや?おわー!激アツ胸熱や!」
と返信くれたそうで(笑)長男もとても喜んでいました

長女の同級生は、わたしが六男との関係で苦しんでいたとき
サッカーの指導者としての視座から「あの子は大丈夫です」と
いつも心強い言葉で支えてくれました
小学校、中学校の行事には欠かさず参加する徹底ぶりで
もはやどこの保護者よりも保護者らしく成長しました(笑)
今年30歳になり大人の仲間入り、頼もしい限りです

この子達が小学校に入学する頃どんなに可愛らしかったか。
授業参観に行くたびにまとわりついてあれこれ話しかけてくれたこと
中学生になり制服姿も凛々しく、声変わりもして男の子らしくなり
高校生の頃はどこまでも自転車で出かける力強さも備え
大学、その先、そしてそれぞれが成長して行く過程を見ていられる幸せは格別です

かつては圧倒的にわたしが大人だったのに
不思議なものでいつのまにか彼らはわたしに目線が合って来ています
そのうちわたしがもっと歳を重ねて行けばその先では
完全にバトンを手渡すことになるのだろうなと容易に想像がつきます

子ども達が成長の過程でなにをどう間違えたって
それは回避しなくてはならなかったこと、などではなくて
その痛み、まわり道で味わう格別な思い、それも大切な財産となります
失敗をしないように、と先回りする必要は絶対にありません

変にコントロールしようと抑圧するから
思い通りにならないことにぶち当たったとき
いつまで経っても自分の失敗を他人のせい社会のせいにするような成長をするのです
彼らにはひとらしい中身が全くありません
カッスカスの醜いハリボテ。

失敗から学ぶことが出来ないためそれを極度に怖れ
決して真実に触れる大切な話はせずに他者をけむに巻き
自分を理解しない周囲に対して常に乱暴な態度をとります

彼らの特徴は身近なひとを大切にしないことです
あーだこーだと自分を擁護する言い訳と論点のすり替えをして
いかにも自分が賢いかのように知識をひけらかそうとしますが、残念ながら
今生彼らが変わるつもりがないなら、何を生み出すことも決してありません

なぜならその賢さ()は他者の見出した知恵であり
彼ら自身ではない誰かの努力の先にあるものを流用しただけのペラペラと薄っぺらい賢さだからです

100の名言を並べ立てるより、たった一つ自分の手でつかみとったものでもあれば
誰が気づかなくとも立派に彼自身として立てたであろうに。
汗もかかずにひとの裏ばかりかく泥よりくだらない人生
そうであり続けることを自ら決めているのだからそのまま見守るしか手立ては無い。

けれど彼らはもしかしたら、その人生を賭して
私たちに反面教師として何かを教えてくれているのかもしれません
彼らが自らのエゴの欲望に巻き取られ、焼き尽くす炎の中に常に在ることを見て
立ち止まり我が身を振り返る、そんな機会を与えてくれ続ける存在には感謝の気持ちさえ芽生えます
ちなみに、右の背中はもう痛みません。

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