テレビやゲームやSNSを嫌いな理由
テレビやゲームやSNSを嫌いな理由

テレビやゲームやSNSを嫌いな理由

昨日の小学生向け科学講座ね、小5五女と小3六女で申し込みをしていたんです
でも、寸でになって小5が「行かない」と言い出したんです
抽選で当選した講座だったわけで、たぶんもれた子もいたんじゃないかと思う
まぁでも本人が行かないってんだから行ったってしゃあないと思うんですよ
行けば行ったで絶対に楽しめる内容だとは思います
で、実際帰宅した六女の話を聞いた五女はやっぱり行けば良かったかな、と言っていました

今回五女は、ママ推しの体験を選ばないという体験と
行けば良かったかな?という体験をしたことになります
で、何をしていたかというとゲーム。
時も忘れてゲームをしていたわけですが(とはいえ定時で繋がらなくなるので”やりすぎた”とも言えないけど)

誰でも一度はあるんじゃないかと思います
何かに夢中になっていて時の経つのもわからなかった、ってこと。
本を読んでいても、好きで勉強していても、趣味に熱中していても
おそらくそのときひとの脳内ってすごく喜んでいると思うんです。興奮しているのかな。
そして、そこから離れたときにじわっと幸福感に満たされる。
筋トレだって山登りだって良いです
キツいな、ってことを体験した後の幸せ感はヤバい。
そのMaxが出産だとわたしは個人的に考えていますけども(笑)

半日近く続く身体を捻るような、体験したことのない痛みと
胎児を守るためにそれを逃していくための精神的な闘い
出口はあるとはいえその壮絶さは筆舌に尽くし難いものです
だからこそクライマックスを迎えて後、乗り越えたときの幸福感も
それまで体験したことのないレベルでわたしを包みます

分娩に関しては痛みを味わったからすごい、とか
それを越えなければ母になれない、とかいう話ではなくて
その後に控えている子育てという、これもまた長い長い闘い(敢えて)のために
身体にその幸せ感を味わわせておくことが大切だからそうして来たと言えます

無痛分娩が悪いだなんてまったく思いません
ただ、わたしはあの分娩直後の全くこの世的でない幸福感を
何度も味わわせてもらえたことをラッキーだったと思うだけです

さて、それとゲーム、テレビ、SNSが嫌いだということとどう関連するのかというと
それらに熱中している間、その人たちの脳内にも同じようなことが起きているからです
誰かの発信によって好奇心がくすぐられ、巧妙に作られたストーリーにハラハラし、ゲームを攻略して達成感を得る

それ自体が不幸だとは思いません。が
ちょっと冷静になってみると、彼らはその時間なにひとつ”体験”していないことに気づくことが出来ます

厳しい自然を相手にサバイバルを体験するひとの動画を見ても
“真実”を想起させるような素晴らしい映画を観ても
エキサイティングなゲームをオンラインで誰かと力を合わせて()クリアしても
あなたの身体は何ひとつとして具体的になにも体験していません
言わばあなたは騙されています
インターネットの世界、誰かが発信するストーリーは実に豊かです
それらは丁寧に作り込まれていて、今やVRの技術は目まぐるしく進化しています
けれど、あなたはその中にいる限り何ひとつとして本当は味わってなどいないのです

誤解しないで欲しいのは、わたしはそれらを全否定しているわけではないということです
何ひとつもたず山に篭ることが最善だとは全く思いません
ただ、情報は使うためにあるということで
精密なデータはわたし達の生活を豊かにするために使えば有益なものになるということです

世界中の何処にでもわたし達は行く手段を選べますし
コスパに拘るならどんな情報でもそこらへんに転がっています
自分の好みに合うお店を探すことも
大自然の中に分け入る方法を知ることも
昔よりずっと簡単に出来るようになりました

わたし達は、体験するためにそれらを使うことが出来るようになったと知るべきです
それらの中で生きることはわたし達は本来望んで来ていません
それは確かなことなんです。
意識だけで楽しみたければ身体を得る必要はなかったし
身体を得る必要がなければ自我も得る必要がなかったのに
敢えてわたし達はそれらを纏うことを選んで産まれてきました

つーわけで
ゲームぶっ壊してやりてえ…を体験させてもらう、という苦い毎日にも感謝しています(笑)
今日は今からこーぴーれん(全県高校PTA連合会さまさま)の主催する
いんたーねっつ()を使った魅力的なPTA活動のための研修という
クッソばかばかし…ハッいけない
どんどん言葉遣いが荒々しくなってしまうわ!
えーと、まあ、そーゆーとこに行ってきます…

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