ってすぐ言うやつとは話が出来ないなと思っています
何故ならシンプルな話を複雑にしているのが当の本人だから。
例えばこんな話。
2種類の美味しいジュースがあったとします
みんなでわけてね、って呼ばれた4人と
りんご味がコップ3杯、ぶどう味が2杯で合計5杯のジュースね。
わーい、じゃあそれをみんなで分けよう、となったときに
それぞれ好きなほうを選ぶとするでしょう
1さん、2さん、3さん、4さん。
実はみんなりんご味が好きだったんだけど…4杯ないなら
わたし、じゃあぶどう味で良いわ、って4さんが言うとする。
他の3人は選んだものを飲むの。
この時点でみんながそれぞれ満足している。
じゃ、最後の1杯、ぶどう味をみんなで等分しよっかって話になったとき
4さんはもうぶどう味さっき飲んだからもういらないわーって言って辞退するとする。
で、そのとき5さんが現れて疲れちゃったからわたしも美味しいジュース飲みたい!って言うから
あら、じゃああなた最後のぶどうジュースを飲みなさいよって4さんが言うとするでしょ。そしたら
あなたは辞退したんだから黙ってなさいよ!って2さんが言う。
黙ってろって言うから黙って見ていると2さんは5さんに
あなたぶどうジュースが好きなの?と問うたりする。
わたしはみかんジュースが好きよ、なんて5さんが言っちゃったらさいご。
あら、それならあなたひとりでそんなに好きじゃないぶどう味を飲まなくても良いからみんなでわけましょうよ、とか2さんが言い出す。
で、ひとりひとりにどのくらいぶどう味が飲みたいかを聞く。
うーん、まあわたしりんご味も飲んだしそんなでもないかー
ってのが1さん
え、たくさん飲んだ方がお得よね、ってのが2さん
ぶどう味はもらえるなら飲むけどーという3さんと
みかんが好きだけどぶどうでも良いからとにかく今ジュース飲みたいなっていう5さん
あら、じゃあその気分の割合で正確に1杯を分けないといけないかしら?とか言い出す2。
アホか!それぞれみんな1杯ずつ飲んだんだから5さんにもあげりゃ良いわい!と
しびれをきらした4さんが言ったところ1さんと3さんはまあねーって感じで納得して5さんは嬉しそうにジュースを飲んで
2さんだけがブツブツ文句を言う。公平じゃないよね、とかなんとか。
わたしは2さんみたいなやつが大嫌い。
その場その時のことしか見えない狭量なひと。
なにが平等かなんてね、いま目の前にあるジュースと5人の話だけで決まるとでも言うわけ?
実はこの5さんはここにくる前にとっても美味しいおせんべいを2枚もらっていたから、と
みんなで分けるはずだったジュースを分けてくれてありがとうね、って言ってそれぞれを半分ずつに割って4人に手渡した。
その時あなた恥ずかしくないの?って聞きたい。
5さんはありがとうの気持ちで、自分が食べられるはずのおせんべいをみんなにあげちゃった。
それって損なの?不平等?平等って、なに?
物事はすごくシンプル。
ありがとう、とありがとうで出来ている。
ありがとうには余白がいっぱいあって
小さいありがとう(2さん流に言えば損)と大きいありがとう(同:得)があるけれど
余白になにが含まれているかは誰にもわからない。
小さいありがとうのまわりの余白に、実は大きいありがとうの何倍も大きなラッキーが隠れていることだってある。
人間の知識や常識の範囲内の公平さ、正義なんてものは些細なものなんだよね
もっともっと大きなものの中にわたし達は暮らしている。
で、そういう2みたいなやつに限って「あ!今日は一粒万倍日だわ!」とか言い出す。
そのひと粒をケチったことにそいつは気づかない。
万倍になるためのひと粒を心に持てていないのならあなたの幸せは永遠に増えやしないんだよね
ちなみに、最初から5杯くれてやるなよ、ってやつは論外ね。