天邪鬼
天邪鬼

天邪鬼

または”へそ曲がり”
育てにくい子だった、と母が事あるごとに繰り返すわたしは
今や立派なへそ曲がりの天邪鬼として成長したなあと我ながら惚れ惚れします(笑)
だってつまらないじゃない?当たり前しか感じられないなんていう謎の設定。
モノゴトは常に裏面、側面があるのだしね。

神さまがいる、と信じるならその神さまが
宇宙の法則を知っている、と感じるならその宇宙が
龍がいる、とするならその龍が
どんなそれだと感じていますか。

わたしはカトリックの学びを深めたので
父なる神さま、とでもしておきましょうか
最早それはわたしの中に在ると感じてもいるわけですが。

それはわたしに、良いものしか与えないと知っています。
世界の全てが良いのだ、と知っています
どんな時も、どんな事も。

ただしこれは頭の中心、つまり魂のある場所
心の奥底の闇で理解していることであって
もうちょっと外側の浅いところにある自我
=感情を掌る場所では
ひととしてこの世に肉体と自我を得て生まれた以上
その揺らぎを体験し尽くしてやるわ!くらいの感じでいます
だから痛いし、苦しいし、切ないとかもいーっぱいある。

誰かから徹底的に拒絶されることも
逆に、何から何まで制限されることも
夢が叶わないと嘆いてみることも
とにかくなんでもぜーんぶ来い!とwktk…
わたしの中に棲んでいる天邪鬼ちゃんがそう考えてくれています(笑)
そしてその天邪鬼ちゃんはちゃんとわたしの一部だと知っています

ひとが苦しみから自分を隠す方法の一つに
別の人格を無意識に作りだして、その子に苦しみを任せる、という手段がありますが
それだと自分ではない、が大前提になってしまうから
いつまでたってもその子は孤独です
孤独は愛ではないから、その子を見つけるまでわたし達は分離の中で生きて行くことになります
それは辛いことです、とっても。

いつだったか、わたしの魂を見てくれたお友達が
reicoちゃんの中には可愛い小さな女の子がいるよ、と言っていました
たぶんそれは誰しもの中に必ずいます。
小さくて、可愛くて、おしゃまで、決して素直ではない賢い子。
へそ曲がりも良いところでぜんぜん油断しません
そうやって、わたしを守っているつもりの優しい子。
ぜんぶわかっているからわからないフリもしています

大丈夫、ぜんぶそのままで大丈夫なのよと
天邪鬼ちゃんを抱きしめてあげるとほんとにぜーんぶが良いことであると理解することが出来ます
自我さんは相変わらずピーピー泣くけどそれも良い。

次に何か辛いことが起きたら
目いっぱい辛い!と自我さんと共に泣いてわめいて大騒ぎして
ほんじゃそれの何がわたしにとって良いことなんじゃ?と
天邪鬼ちゃんとへそ曲がり合戦をしてみてください
あ、なんだそゆこと!って腑に落ちた瞬間
世界が変わって見えること請け合いです。

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