下げるから上がる、ではない。
下げるから上がる、ではない。

下げるから上がる、ではない。

謙譲の美徳、というものがあってそれは目の前の誰かに
先ずはあなたのことをどうぞ、と態度にあらわすこと。
謙ることで相手を立てるということだけど

自分の立場や性質を「下げる」ことで
相手を「上げる」ことだと勘違いしているひとが多い気がする。
そもそも、わたしでない誰かは
わたしが「上げる」までもなく素晴らしいひとであって
わざわざ「わたしは低いモノです」なんて言うには及ばないと知れ。

そもそも、自分を下げて相手を上げる、と考えているなら
その思考は”相手”がいないときには発動出来ない。
下手っぴぃな営業マンがやりがちな
普段は高圧的なのに客の前で突然愛想をふりまくってのがまさにそれで
ひとは直ぐにそれを見抜いて「いやいや…おまえの人間性どうよw」ってなっちゃう。

謙譲の美徳、それは実は相手がいないときでも常に発動させられるってんだからお手軽よ。
つまりね、自分てのはそれを意識せずにいればずんずん「俺ガ、わたしガ」になってしまうものなのだ、と意識するってこと。

あ、じゃあ自分を消しちまえば良いんすね!って?
いやいや、その我欲を消せってのはまたこれも違うのよ(ややこしい)
欲を抱いているのは自我を纏ったせいなんだけど
自我をなぜ纏ったか、を思い出して欲しいの

メンドクセーから今日はそこを飛ばすけれど
欲はあって良い。不要なものは与えられないのだから。
ただ、それの性質を知ること
つまりそれは喜びを感じるためのセンサーの役割を持っているから
ともすれば誰かからそれを奪い取ってでも得たい、というふうになる危険性をはらんでいるということを理解すれば良い。

喜びを感じることが悪いのではないから死んだように生きる必要はない。
山籠りをして四六時中瞑想することが尊いわけではない。
この世という、互いの欲が渦巻く娑婆にあって
少なくとも自分のそれを理解して、かつ抱き続けるということが即ち謙譲の美、ってことらしい。
自分が下がらなきゃ相手が上がらない、などと考えるのがそもそもすんごい傲慢、ど阿呆、勘違いバカ。

相手は、あなたがどう在ろうがおかまいなしに美しく尊いのだと知りなさい。
その上で「わたしの欲ちゃん、ちょいと静かにしておきなさい。先ずは相手のお話を聞こうではないか」と
わたしの自我ちゃんに対して優しく語りかけることが本当の謙譲です。

で、その上で相手の気持ちを聞くなりして
「ねえな。」とあなたが感じればそれはそれでもちろんOK。
伝えても良いし伝えずにその場を立ち去ったって良い。
ただし、あなた以外の誰かを巻き込むことを意図しないこと。
「あいつバカ」はあくまで「あなた調べ」だということ。
ほかの誰かにとってそれはそうでない可能性もあるのだから
「わたしはあのひととは交われそうもない」という
今のあなたなりの判断を胸に抱いて、そこを去りなさい

やーいやーい、ばーかばーか、と
言いたけりゃ言えば良いけども…ね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA