結局のところ生きるためには働き続けるしかないんよね、不労収入でもない限り…みたいな話になったとき
じゃあ不労収入ってなんだ?って話になって
そりゃ不動産収入しかないだろ!ってことになった←短絡的
そこで2つ向こうのデスクのバリキャリ女性がゆるっと会話に参加する。
わたし、不動産持ってるけど借金だらけだよ〜。
ほう。
「これくださぁい」ってディーラー行ってプジョー買っちゃった、てへ。ってだけでもアンビリーバボーなのにその上不動産持ってる、ですか。
オーマイガーすごーい、カッコいー、すてきー、わー。
と、ひとしきり騒いだのちお話を聞く。
お母さまの名義だった土地を譲り受けてご本人名義で戸建てタイプのアパートを数棟建てたのだとか。
そのうち1棟にひとり暮らしをされているそう。
でもね、アパートのオーナーってそんなに気楽でもないんだよ、というお話
メンテナンスにもお金がかかり続けるしそもそも入居者がなければ成り立たないし、だそう。
つまり、不労収入があっても”お金の悩み”から切り離されるということではないんだね
この世的なお金の循環から飛び出して
いわゆる謂れのないお金を得られたらどうなるのだろうか
答えがあるから共有します。
例えるなら
わたし達は自分の暮らす国の通貨を持たなければそれを使えないのと同じだから
謂れのないお金の循環に入るためにまずは
謂れのないお金を私たちが払っちゃえば良いの。
つまりわたしはその通貨を既に持てているよ、という意識を持つということ。
はあ?何いってんの?ってなる?…なるよね普通(笑)
まあでもそれが真実なんだってんだから仕方ない
子ども達を”無計画に”産んで育てた結果としての今のわたしだからこそ言えるのは
20年前になんという無責任なのだ!と糾弾されたときにも決して揺るがなかった根拠のない自信
なるようになるからgdgd言うまい、ってのは正しかったんだな、ということ。
もちろん支えてくれた周囲のひとには心から感謝しています、それが大前提。
だからこそ、与えていただいたものをわたしも誰かのために払い出したいなといつも願っている。
まだまだそれは全然与えられたものの大きさには追いつかない小さなエネルギーだけれど
わたしがどれほどみんなから謂れのない援助をしてもらったか忘れることはない。
なぜ目に見えない世界の、この世的になんの謂れもないように見えるお金の循環があるか。
それは決して、ある特定の個人が金持ちになるとかラクが出来るようになるとかではなく
ただただ受け取ったものをまた別の誰かに手渡すという循環を感じられるようになるということ。
これが綺麗事に聞こえるだろうってことも百も承知
実際は大変な時期もあったよ
幼い子がいっぱいいるのに1日500円しか予算がなくてね
卵が欲しい、でも牛乳も飲ませてあげたい…って悩んでさ。
冷蔵庫にあるリンゴが食べたい、とチビが泣くけれど
離乳食に使っているから我慢してねってそんな毎日。
そんなとき、ダンボールいっぱいのお野菜や冷凍の餃子やおうどんなんかがドーンと届いたことを今でも忘れない。
なんでもないことなのよ、と送り主さんはいつも言っていた。
それを、今わたしも同じことが少しでも出来たら嬉しいなと思うの。
出来ればわたしが払ったとは知られない方が良い。何故ならそれはぐるぐる巡っているだけで”わたしの”お金じゃないから。
誰かにしてもらったことへのありがとうはその人へ返す必要はない。
そもそもそんなことをするひとはとっくにこの世的価値観からはぬけ出ているからね。
ありがとうを伝えたら、与えられたものは別の誰かに手渡す
それが目に見えない世界の、いわゆる謂れなき収入を得るための方法。
世界がもっともっとあたりまえに循環するようになりますように。
麗子さんおはよう。
朝から心が温かくなりました。
いつもありがとう!
みよちゃん、おはよう!
インスタいつもすごーく楽しみにしているよ
嬉しいコメントありがとう
今日もちまちま書いていまーす