我が家にはにゃんこが4人おりまして。
ブリーダーの飼育放棄によって里子に出されたにゃんは妊娠中で貰い手がつかず
我が家にお迎えをして出産を経て産まれた5頭のうち3頭を里子に出して母にゃんとムスメにゃん、そしてムスコにゃんをお迎えしたという次第。
この人たちがまあ良く食べるわ出すわお腹ゆるいわ大きいわでチョー大変。
昨年もうひとり地域猫だった子をお迎えしてその子にはてんかんの持病があって
もしお迎えしていなければどうなっていたことかと思うとぜんぶご縁だよねと思います。
そんな我が家の4匹のにゃんはそれぞれが子ども達それぞれの推しでして
うちの子達は何かあるたびに推しに癒されているようです。
今夜もメソメソ泣いてベッドに突っ伏している子の上にムスメにゃんが鎮座しており
お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしているわたしの膝の上には母にゃんがでろーんと寝ています
落っこちそうになるとツメ立てるからイヤなんだけどなー
良いことばかりではないんですよ、動物を飼うって。
あたりまえだけどお世話しなくちゃならないしエサ代やなんやでお金だってかかるの。
でもね、priceless
この子達がいてくれることで家の空気が浄化されるの。不思議でもなんでもなくて。
わたしは仏教徒ではないから六道輪廻ってのを知らないんだけどいつだったかお坊さんに
あなたには数限りない霊が憑いているし、畜生も憑いているから多産なのだと言われたことがあってね
畜生ってなによ?ってなったのを覚えてる。
たったひとりの坊さんの言葉を論って仏教全体を揶揄するつもりはないけれどでも
縁あって出会ったその言葉はわたしにはちょっと受け入れ難く感じられたのは事実。
仏教では動物はひとに足りぬものだとでも言うのかな。
また別のひとに言われたこともある。宇宙の法則によるとひとの魂と動物たちの魂は交わらない、って。
わたしはどっちでもかまわないと思っている。
もし誰かが次の世で動物に産まれることがあるならそれも悪くない。
彼らは自我を持たないからひとよりずっと身軽だと思うし
肉体を持たない天使がいるように、肉体を得たけれど自我を持たないものとして充分に尊いと思う。
何度も言うけれどこの世には欠損など無いし純度100%の悪など無い。
ないというよりないものと出来る、とでも言うべきかな。
わたし達は肉体を持って三次元で生きているけれど魂はいつでも自由に高次元と呼ばれるところへ行ける。
うかがい知る、というレベルではあるのだろうけれど。
わたしがちょこっと知っている高次元の力を借りて誰かに手渡す何かより
動物達があなたに与える影響の方が遥かに純度が高いとわたしは思う。
受け取って欲しいんだよね、彼らが仲介してくれる高次元からの癒しのエネルギー。
ギブアンドテイクなんていう価値観は彼らにはない。
でもね、注意して。
窓辺であくびしてるお宅のにゃんこ、しぇかいしぇいふくを画策していないとは限らないんだから。