責めないで欲しい
責めないで欲しい

責めないで欲しい

子どものスマホがなくなって、ほうぼう探したけれど出て来ず
探す機能で追跡するとあちこち場所が移動していた
とうとう電源が切れてそれも確認出来なくなった頃
遺失物が見つかりましたと連絡があった
ログを解析するとあぶり出される”最後までそれを操作していた人物”像はまだ幼さを漂わせている

果たしてこれはあなたの失くしたものですか、と問われ
「怪我をしないよう取り扱いには気をつけて下さい」と促される。
ボロボロに泥がついたカバーと中央からへし折られ液晶が粉々になったそれはかつて誰かの心を躍らせるために対価と引き換えに手に入れたものだったのだろうか。
“犯人”も既に見つかっている、とのこと。やはりそれは
まだ声変わりすら迎えてもいないであろう子ども。

なぜ彼はこれをこうしなければならなかったのだろう。
直接のトラブルがあったわけではないようだ、と聞けばなお更にそれが気にかかる
電源が切れるまであれこれと検索しながら彼の心は躍ったのだろうか
ロストモードに切り替わったとき、その心臓はドキリとしたのだろうか
画面を割ったとき、川にそれを投げ入れたとき彼は何を思ったのだろうか
自己保身ならそれも良い。
足がつかないようにと、思慮とも言えぬ浅はかなそれで
そうするのが一番自分を守れると考えたのだろうか

それが、切なかった。
あっさりと、さも置き去られていたかのように
何処かそこらに放り出しておいてくれたほうがよっぽど憎らしく思えただろうに。

まだ守りたい心を彼は持っているのだろうか、そうであって欲しいと願わずにはいられないほどそれはボロボロになっていた
既に彼の心が同じようにボロボロになっていなければそれで良いと思った。

わたしがおかあさん本舗を立ち上げたのはひとえに
子どもをこれ以上壊すひとが増えませんようにということが動機だった
わたしが子どもを傷つけたことが無い聖人君子であるということではまるでなくて
むしろズタズタに傷つけて来てしまったと知っているからこそ
それを修復するために子ども達がどんなに苦しんでいるかを目の当たりにするからこそ
もう、あと一人もこんな子どもが作られないようにと願ってやまないからこうして小さいけれど声を出している。
話すことも憚られるほど多くの罪を犯したし、それを忘れたと打ち捨ててしまっている。
けれどいつでも取り返すことが出来るということも信じている。

「弁償します」という申し出は断ろうと思う。
その分でどうか少しその子と向き合う時間を作って欲しい
或いは謝って欲しいのはご両親の方だと伝えたい。謝る相手はわたしではなく、その子。

受け入れられるとは思えないけれど
謝りたいという気持ちを伝え始めることは決して無駄ではない
今さら遅いんだと言われても、一度は謝って欲しい
責めるのではなく、これはやり方として違うということがいつかその子に届きますように。
子ども達をこれ以上傷つけることをやめて欲しい。

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