高校を卒業した18歳五男の機嫌が朝から悪い。
原因はこの前始めたばかりのアルバイトで今日、ひとりの時間があることへの不安。
我が家の12人のうち、21歳三男が群を抜いてむちゃむちゃ小心者なのだけれど
それに次いでこの可愛い18歳五男がヤバい。あともう一人は中1六男。
女子達は長女以外の全員肝っ玉が据わっているし
実は長女も三男五男六男に比べれば(年齢を重ねたせいもあるけれど)ぜんぜんイケる。
なにより態度がデカい(笑)不安の裏返しが他者への不遜な態度に出るというパターン
だからすごく誤解されやすいという難があるけれどそれも結局は他者からの評価だから意に介さないようにしているようだ。
で、へなちょこ男子達。
言っておきたいのはこれら性格の傾向は持って生まれたもの。確実に、ね。
赤ちゃんの頃から一人ひとりはぜんっぜん違うの。
21歳三男の1年後に産まれた20歳四男が超のつくマイペースで
自分が心地良ければ他者がどうあっても全くおかまいなし
嫉妬心ってやつを持ち合わせていないユニークな子だったから
ひとり遊びをしている四男を放っといたまま三男を抱っこして絵本を読んであげる、みたいなことをやってた。
で、その不安の強い3人はそれの表現方法もそれぞれで違う。
三男は不必要なほど周到に根回しをして失敗を極力回避するよう心を砕いて更に超絶愛想良くふるまう。
五男は怒りで表す。その時が来ればそれなりに振る舞えるという自分を信用出来なくてイライラして、その場では引き攣った笑顔で対応する。
六男は悲しみで表し、前以てわかるようなら徹底的に逃げ回るしそういう場面に出会ったときには組み合わずとっとと手放す。その場に遭遇してしまえばキンチョーが過ぎて何が何だかわからないうちに時間を終える。
彼らにかける言葉も違う。
三男には、他者から見たその場のシチュエーションをシュミレートして、
他者が感じるであろういくつかのパターンを具体的に示してから
「∴そこまであんたが心配する必要はたぶん無い」
ということを繰り返し伝え、エビデンスwを集積することでその後の対応の選択肢を増やす。
五男には、まずは「結局あんたってやれちゃうよね」と過去のデータを参照させてできる限り大仰にならないよう
いかにもこの後出会う場面なんてそんなに大したことない、というマインドコントロールをさせる。
こういう場面はこうやって乗り切るとかあるかもしれないよねー、みたいな
超絶具体的な対応をスパイスのように散りばめておくことによって
実際のその場で上手く対応できた時にピリリとそれがスムーズにインプットされるタイプ。
六男にはひたすら心の準備を促しつつ安心させるために
こんな場面でこう言われたことあるよね、そのときって先生こんなふうに考えていたのかもしれないよね。と
過去にあった出来事とそのときの先生の表情やその背景を合わせて思い出させることによって
ああ、そういえば失敗しても叱られなかったっけな!というその時安堵した感情を再度フィードバックさせる。
これ、実は相手に根回しをしている。
それによって先生が丁寧なアフターフォローをして下さるのだけれど
そこまでが”込み”でひとつの出来事として六男の記憶に刻まれるようにコントロールしている。
3人に共通しているのは固さ。
今生は過去世での”失敗”を回収しに来ているのならば
それに対しての深掘りをしていかない限りその緊張はほぐれない。
ほぐれないまま走り出したらどうなるか…それはアスリート達と同じ。怪我をする危険がある。
怪我をすることは決して悪くはない。そこからも何かを学ぶ必要があればそうなる。
けれども、わたしの子ども達として産まれたということはそのターンではないとわたしは考えている。
次なるステップ、つまり取り組む前に心をほぐすという基礎中の基礎に向き合うということ。
で、面白いのは
そうは言うけれど決してきめ細かく対応してもらえるはずもない12人兄弟にこの子らが産まれたということ。
してあげたいけれど手が回らない、という現実(笑)
でもね、これはわたしにとっても大きな課題だったの。
幼い頃から相手の課題が見えていたせいで他者に対して過干渉になりがち。
悩み、愚痴、そういうものを吐き出しに来るひとに対して集中してケアをしようとしてしまう。
認められたかったのか?と自分に問うてもどうやらそうではなくて
とにかく有り余るエネルギーをただ放出していたに過ぎないということらしいけれども
それは、相手にとって良く働くとは限らない。
頼りすぎてしまうから。
おかあさんになるということは自分ではない誰かと向き合うことでこちらも訓練されて行く。
相手が求めていることと自分のやれることを微調整しつつ
相手の人生に直接の手出しはしないことを肝に銘じなくてはならない
それはサポートという形でも同じ。
あれやこれやと準備を整えることは親のするべきことではない。
しなくてはならないのは
それぞれが自分の人生に必要になるものを準備したい!と感じられる心を保てるよう風をあてることくらい。
ああ、この風は心地良いな…と感じられればそれを探しに出かけるだろうし
これはちょっと、となればそれを選ばないという選びを彼らは自由にし始める。
「ねえ、ママ」と彼らが呼ぶ時、応えられればそれで良いと思う。
目線を送って来た時、「声に出すまでは応えない」としても良いし
すぐさま手をのべなければならない時もあるだろう
おかあさんは常にニュートラルでいれば良く、けれどそれはめちゃくそ難しい。
少しずつでかまわない。
あなたが子ども達や他者との関わりをもっと心地良いものに変えたいと願うなら
まずは自分自身を知り認め赦して受け入れることをし始めれば良い。
子ども達と呼ばれるひとがここに辿り着いたのならそれはもうあなたがひとりのニンゲンとして自立し始めるタイミングが来ているということ。
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