佳き人生を与えられた
佳き人生を与えられた

佳き人生を与えられた

と、静かに身体を横たえてそのひとはもうだいぶ小さくなったまなこを押し上げてわたしを見るとそう云った。
最期の時を見送りに来る全ての人に対してそのように述べよう、と準備された台詞のようにそれはあまりにも出来過ぎた言葉であった。

天国へ行く支度をしているのですか、と問うと
はい。と、いつものそのひとらしい柔らかな声が返ってくる。
果たしてこのひとはそうそう容易くあの世へ旅立つのだろうか
けれど、もうすぐそこまでイエズスさまが来ていらっしゃる、と半ば微笑んだようにも見えるその表情は
確かにその時が近づいているという優しい確信をそのひとに与えているのかもしれない。

それはおめでとうございます、と顔を覗き込むと
はい、天国に行ったら皆のために祈ります。と言う。そして
この時ばかりは今まさに死にゆくひとらしく「息が、少し苦しいです」と続けた。

最後にわたしが「ではまたお会いしましょう」と告げると
また少しだけ目を開いて「天国で、ですよ」とわたしの手を握った。
「おやすみなさい」
最後のそれに応えることはなく、そのひとは静かな呼吸だけを繰り返していた。

温かくてやわらかなその手のひらでこれまで何百何千という人々に按手して来たのだろう。
彼の手によって叙階され神父が幾人誕生したのだろう。
佳きかな、佳きかな。

こうしてわたしがそのひとに対してしなくてはならないことは全て終わった。
見事な仕舞い支度を見せてくれたそのひとは立派にキリストを生きた、と喜ぶ神様の顔が見えたような気がした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA