ひとが迷う理由
ひとが迷う理由

ひとが迷う理由

感情を掌るのは自我なんだけど
感情自体には良い悪いがない、と言っても
ほんじゃなんでいつまでも痛くて苦しいのだろう。
自分のことならさておき、自分ではない誰かが痛むとき
それがなぜ”必要”なのかをとう伝えられるかと思っていた

その答えは実はすごく簡単で
“自分を知る”ためにそれがあるのだそう。
自分のこと、よく知ってるもん。って思うひとは多いけれど
それって実は自我を纏ったままの自分で
もちろんそれは悪かないし、生涯その姿だけが自分たとして生きるひともいる。

ほんじゃなんではだかんぼの自分に出会うひともいるか、というと
ラクになるからだね、ひとえに。
ラクってのは容易いってことだけでもなくて…
んー、なんというか心地良くもあってリラックスするというか
簡単に言えば産まれる前にいた場所を思い出すこと。
ああ、このために自分は産まれたんだってほのかに思い出せて
だけどもちろんこの世にある限り自我ともうまく付き合って行くことが出来るようになるってことだね。

なぜ目の前にこんな困難があるのか?
どうしてこんなに痛いのか
それに対しての答えってのは実はもう自分ではわかってる。
そこまで辿り着けるように道案内をするのがわたしのやれること。

感情にふりまわされていること
痛みに声を上げていること
ぜんぶぜんぶを使って、あなたが誰なのかを見つけるお手伝いね。

んなことする必要ないわってひととはたぶん出会わない。
すっかり厚くなってしまった自我のせいで周囲が真っ暗に見えているひと
苦しいよ、痛いよと叫ぶひとが出会ってくれたらと思う。

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