自分を知る
自分を知る

自分を知る

おかあさん本舗の土台と屋台骨について思い巡らしていた
やれること、について考えれば考えるほどそれは”無限”で
なにを書き出してもそこから派生するあれこれがまた次の何かを産み出すその連鎖を目の当たりにして少し、途方に暮れている

全体像を第三者に対して可視化することはたぶん不可能。
あまりにも広く深過ぎてわたし自身もそれを語り尽くせない

とはいえ糸口を見出さなければ解くことも出来ないわけで
解かなければその巨大な何かがもたらす恩恵を
それを必要としているどなたかに手渡すことも出来ない

これと似たような思いをかれこれ10年以上抱いて来たけれど
10年前とは確実に違っていることが、自分には良くわかる
それは遥か昔からわたしと共に在り、気配を感じながらもすっかり見失っていたもの

20余年におよぶ聖書との深い関わり
産まれ落ちた場所、時代、成育の環境
周囲の人たちとの関わり、身に起きた出来事
全てが全く関わりのないように見えて
あるひとつのそれをリマインドするためのものだったと知る

今なら誰のどんな苦しみに対しても
それが何処から来るのかなぜ苦しみとして在り続けるのか
越えるために何が必要なのかがわかる

わたしが知っていることはこの地上にあるものでは語り尽くせず
しかし全てがそれを語っており、辿り着く先は必ずそこである
ひととして知らないことがわたしを驚かせ、気づかせ、喜ばせてくれる
こんなミクロからマクロまでがコスモがカオスが
なんとかそこまでひとを辿り着かせようと手を述べているのがわかる

わたしはそれを恐れずに使おう
わたしのためではなく、けれど全くわたしのために。
わたしの喜びは全体の喜びであって
全体の喜びはわたしの喜びである

さてさてさて。
わたしはそれをすることを自分に許可する

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