「もう一度生まれることが出来ましょうか」
「もう一度生まれることが出来ましょうか」

「もう一度生まれることが出来ましょうか」

——————–
イエスは答えて言われた
「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」
ニコデモは言った
「人は年をとってから生まれることがどうしてできますか。
もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」
‭‭〜ヨハネによる福音書‬ ‭3‬章3-4節〜

これはユダヤ人の指導者であったニコデモとイエスの問答。
霊によって産まれなければ神の国には入れないんだよねー
、と
当時の”権威”の象徴であるニコデモに対して臆することなく言い放ちます。
イエスにとって、相手が誰であるかは常にドーデモヨーで
その時答えるべきことをただ答えるのですが
ムッカーと来たニコデモは(まあ地位ある者としての気品は残しつつ)
「んなこと出来るわけないっしょ」と返します

「そんなことが出来るでしょうか」と言いつつ
あたまっから全否定。アホちゃう?なに言っちゃってんの?くらいの感じね

だって指導者ですもの
ファリサイ派ですもの
賢いんです、正しいんです
なんか意味不明な話を聞いたときの
そういうひと(の象徴)の正しいwリアクションですよ
わたし達も毎日こういう態度ですよね

さて。
これに対する更なる返答として

——————–
風は思いのままに吹く
あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない
霊から生れる者もみな、それと同じである

ニコデモはイエスに答えて言った
「どうして、そんなことがあり得ましょうか」
イエスは彼に答えて言われた
「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。」
‭‭〜ヨハネによる福音書‬ ‭3‬章10節〜

と、あります。
思いのままにふく風の音は聴こえるけれど
それが何処から来て何処へ行くかは知らないでしょ
賢いつもりでも、おまえなんて
実はなに一つわかっちゃいないんだぜ…(意訳)

辛辣です。ひっど!(笑)

で、わたし達
というか、むかしの日本人は
この問いに対する答えを持っていました
ひとは何度でも産まれることが出来るってことを
知っていたんです

面白いね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA