大分県と宮崎県の県境に
龍が生まれる美術館があります
そこにいらっしゃるのは画家のコオロギタカシさん。
“(余分なものが)なにもない”大切なものがすべて在る場所だ、と仰るそこへは
スピリチュアルが好きなひとも多く訪れられるそうです
前回お伺いしたときは
「丁度いま、筆を置いたところ」として
大きな丸い目を待つ画面いっぱいの龍に対面させて下さいました。
今回は”その後”生まれたひと(龍)達を案内しましょう、と
初めましてのひと(龍)達にご挨拶させてもらいました
その流れで、新しく出来た展示室へ行くと、はて。
見たことのある子(龍)達が並んでおり
「これは複製ではなくオリジナルですか?」と尋ねると「もちろん。」とのお返事。
百貨店での展示会の際、100号を超えるサイズの原画を運び込めないので、ということで
小さなサイズのキャンバスに写し取ったのだそうですが
「中身は違う」ようです
テクニックを使って縮尺したり倍尺したり
現尺と同じ(に見える)ものは作り出せるけれど
その場合、中身は空っぽで
龍を生み出す時に感じる熱量は含まれないとのお話でした
まったく同じ話がスピリチュアル界隈に渦巻いているんじゃないかとわたしも常々思っていました
龍神さまが、だとか高次元の存在が、だとか
宇宙ガー、天使ガー、って
それらはわたし達ひとりひとりが持っているものと同じで
サイズ感としてはとても大きなものに感じられるけれど
だからと言って自分自身を取り戻す旅を放り出しておきながら
そこの法則だのご利益だのってのを声高に叫んで喜んでも
それって、空っぽですよ
神社仏閣を巡るなら
心静かに、畏敬の念を持って密かに巡ってみて下さい
誰にも告げず、SNSで拡散せず、としたとき
それでもあなたはそこを訪ねたいでしょうか
答えが”然り”であるのなら良いと思います
あなたはそこで何かに出会うでしょう
大切なものは目の前に、いつも在ります
足りぬものはなく、拾い上げなければならないものはあなたの外にはありません
それは自在に姿を変えており
その姿かたちにばかり気を取られているなら
永遠に真芯を掴むことは不可能です
中身はからっぽ
大きな葛籠にご用心
130号サイズのキャンバスの向こうで身構える子(龍)と向き合っていらっしゃる姿に出会ったわたしも
今まさに動き始めている、そんな一日となりました
時は来たり、ですね
次にこの子に出会う日、わたしはどうなっているでしょう