美しさ
美しさ

美しさ

コオロギさん語録をもうひとつ。
初めてコオロギさんにお目にかかったとき
あれやらこれと好き勝手に作品について感じたことをお伝えしました

その中にひとり、わたしにとって特別な子となる龍がいたのですが
この子は四つの目を持っているようなんです、とその時お話してくださいました
下から喜び、怒り、哀しみ、そして楽を現している、と。

それを聞いたときわたしは飛び上がって喜びました
なぜその子がそう言うのか、わかったからです。

喜怒哀楽という言葉がありますが、そのうち「楽」だけは感情ではありません
それは”状態”をあらわしています

そして、感情である喜び、怒り、哀しみのうちでは
喜び、が最も原始的なものです
わたし達がもともと知っている”楽”の名残りに出会ったときに覚える感情です
これには他者という存在は必要がないのが特徴です

他者の介在を受けて、それ(喜び)を奪われるような危機感を覚えたときに現れるのが怒りなのですが
それは、実は表層に顕れる感情に過ぎず、その根の先は全てが哀しみに繋がっています

怒りは炎です。自らをも焼き尽くす炎ですが
それに飲み込まれることなく感情の深掘りを進めたとき、ひとは
哀しみという、最も深層にいる大切なものに出会います
その哀しみを拾い上げ、大切に胸に抱き留めること
それが愛への気づきの始まりであり楽への回帰への縁起です

その、四ツ目の龍はわたしが知っていたそれを語ってくれていました
だからわたしはその子を「自分の分身だと思っている」と伝えました

その四ツ目の龍は、最初に現れたとき
真っ暗な姿をしていたのだそうです
あまりにも哀しいので、ありったけの美しさを手渡そうと考えたコオロギさんから
たくさんの愛を注がれ、今の姿になりました

コオロギさんはその子を見て「この子が一番美しい」と言います
“美しい”というのは、綺麗に整えられたものとは違うそうです
それが在るように在る、ということなのでしょうか

わたしの名前はれいこ、です
二つの美しい角を持った鹿、という意味を待つ漢字が当てられています

わたし自身、幼い頃の自分を振り返ったとき
鹿のような子どもだった、とずっと感じていました
縦横無尽に野山を駆け回る一頭の鹿のようでした
そして悲しいかなその頃の美しさをすっかり失っている、と思っていました

でも、わかったんです
「美しい、というのは綺麗、とは違う」
コオロギさんの言葉がわたしの中で優しく響きわたり
わたしは自分の名を思い出しました

鹿、というのは「ロク」とも読みます
神鹿、奈良の鹿だとか厳島の鹿たちは「シンロク」と呼ばれているそうですね
わたしの名前は美しい鹿、つまり美鹿「ミロク」でした
弥勒の世と呼ばれる時代、その一端を担いたいと生まれた命なのかもしれません

コオロギさんの龍たちは今日も
出会うどなたかに
そんなあなただけの特別なメッセージを伝えようと
静かにその時を待っているのかもしれません

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