「宗教」を越えて
「宗教」を越えて

「宗教」を越えて

カトリック幼稚園で育ったことを発端にして
人生の殆どは聖書と共にありました
うち、20余年は導きにより
よりストイックに”聖書を生きた”と言えます

天地創造〜ひとの追放〜旧訳時代〜預言の書〜新訳
すべての内容を”記憶”はしていませんが
目の前の出来事が、聖書の一節と深く関わりあっていること
聖書に書かれていることへの他の解釈の可能性
そして、特に「宗教」の教典としての聖書が
実は神道に深く関わっていることがわかるようになりました

今日のメッセージは
「許し/観念」

聖書に、以下のような一節があります

よく言っておく。
あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ
あなたがたが地上で解くことは、天でも
みな解かれるであろう。
‭‭〜マタイによる福音書‬ ‭18‬章18節〜

これを根拠に、カトリック教会では
隣人との和解、ひいては神との和解を
積極的に受け入れるよう勧められます

わたしに反対する誰かを受け入れること
傷つけられたあれこれを許すこと

それは決して正しくないことではないのですが
見落としている一点があり
日本人であればおそらく、意識するしないに関わらず
魂に刻みつけられている神道の精神性によって補うことが可能です

そして、それはわたしがこの世的にするお仕事に深く関わっており
お伝えする”修復のためのワーク”でご自身と向き合い始めれば
目に見えるこの世は目に見えない世界と乖離したものではなく
あなたが望む明日はいつでも手に入るのだと感じて頂けると思います

聖書を生きた日本人だからこそ辿り着いた場所があります
必要とする方にはきっとお目にかかれるでしょう
いずれ、近いうちに。

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