学校の現場で働いていたとき
放課後の、薄暗がりの教室から先生の怒鳴り声が聞こえたことがありました
「お前はなんべん忘れたら気が済むんか!」
叱られているのは小柄な男の子
学級では大人しく、目立たない子
ほんの少しみんなと違う特徴があって
たぶん、その先生にとっては”難しい”子。
あまりの迫力と、しん、と静まり返った教室の異様な雰囲気と
早く帰りたい気持ちがないまぜになっているんだろうな、と思ったし
わたしもいろいろ用事があるので教室に入って行きました
先生は少し驚いたようにも見えたけれど
そのまま(という体裁のまま)”児童への指導”を続けています
どうやらその子は宿題忘れの常習者で
他の子がやれていることをやれないとは何事か、とか
提出しないくせに中休みに遊ぶのは違うんじゃないか、とか
このままじゃあ進級進学も難しいぞ、とか
ま、良くある”指導に見せかけた脅し”をかけていました
宿題なんてさ、やりたきゃやれば?くらいで良いんです
意味がないなんて思わない。知識は美味しいですもの
どんどん食べたらとても気分が良い
でも、そう感じないひとだっているわけで
むりやり口を開いて詰め込んだって苦しいだけでしょう
飲み込むことも出来ずに吐き出してしまうかもしれないですね
忘れ物だって、したって良いんです
もちろん、しなくたって良いしね(笑)
活動に必要なものを揃える、という前提がある
でも、忘れちゃうことは誰にだってあります
そこを責め立てても何ひとつ良いことはありません
忘れ物をした=活動出来ない=無駄な時間を過ごさざるを得ない=良くない出来事を招いた
こんな馬鹿げたロジックに子どもをはめ込むことが指導であると考えるのは愚かなことです
忘れ物をした子がいるなら
周囲はどうフォロー出来るかを考えるでしょう
或いはそれ以前に、フォローしたいと感じるのか否か
するならどの程度?ひとりで?分担して?
各々が自問し、答えを出すでしょう
フォローしたくない、とするならそれももちろん尊重されるべきです
周囲からのフォローを受けられないならさあ、どうする?
忘れ物をした本人はもっともっと深く考えるでしょう
代替出来るものはあるか?活動から離脱する?
周囲の考えを少し変えてもらうために働きかける??
その子はその子らしい選択をするでしょう
何度も、何度も繰り返すのなら繰り返せば良い
周囲が呆れ果てるならそれも良い
孤立したく無いと考える子なら対策を講じるでしょう
別にー、と考えるなら別のことをするでしょう
何某かの事実が起きた時
失敗である、という一点で留まらせるような指導は
それこそが失敗である、と
少なくとも誰かを指導する立場のひとには知ってもらいたいなと思います