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【過去記事】

長いこと探していた過去記事がひょんなことから出て来ました
この当時は、目に見えない世界のこととしてクローズしていますが
肉体として男性、または男性寄りなのか
女性または女性寄り、或いはそれ以外であることは
そもそも本人がそれを選んで産まれて来ているのだということを今は伝えたいと思います

何度かいくつかの記事の中で書いていますが
出来事という事実の解釈、または理由づけは各人の自由です
それぞれ、好みの一点をその出来事の象徴として留めるわけですが
それは、人生に於いていつでも変更可能です
あるとき”失敗”と決めつけた出来事も、別の日には”気づきの日”に変えることが出来る

男性の肉体を持って産まれたけれど心は女性なの、と
そんなことだってもちろんあるでしょう
それは決してミスマッチ=失敗と決めつけられることではありません
ただ、それはあなた個人の大切な宝なのですから
他者にどう見て欲しいのかをコントロールしようとしても
そこはあなたの思い通りには行きません

かつ、実のところ「心が女性である」と叫ぶそれは
実は自我の声である可能性もあります
何故なら本来、心に性別は無いからです
わたしはわたしであり、誰かは誰かであって
持っている体を使って生きることを選んだに過ぎません
心が女性、なのではなく
女性の体を使って生きたいと願っているというところでしょうか

過去記事で説明したように、女性の体は細胞レベルから何度も”死”を経験しています
肉体が男性である以上、未だあなたは経験していないのですから
それについては潔く認めることが出来ると良いですね

男性の肉体を持ちながらあなたとして生きる
それを貫くことは愚かなことでない、と
あなた自身が心から信じていられるなら
その体を持ったままであっても自由に生きることが出来ます
自分自身の選択であることを先ずは受け入れることが必要です

痛み、苦しさもあるでしょう
それはもしかしたら肉体的に女性であるひとが体験した”死”の代替なのかもしれません
あなた固有の特別な試練を受け入れてみてください
誰にどう思われるか、は大して問題ではない、ときっと気づくことが出来るでしょう

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