ジョーシキ
ジョーシキ

ジョーシキ

幼稚園の頃だったと記憶しています
お気に入りの小さな自転車
ガラガラと音を立てる補助輪が嫌になったから
わたし、もうこれいらないと外してもらったら
あらららららら!

どうしちゃったのわたしの自転車
仲良しだと思っていたのに急に知らん顔
あなたなんか知らないわよと素っ気なくて
乗せてなんかあげないわよと言わんばかりのじゃじゃ馬ぶり

右にペダルを踏み込めばつられてハンドルも右へ傾いて
あわわわわ、と慌てて左を踏み込もうとしたら
するりとペダルは逃げてすってんころりんアスファルトに投げ出される
まるで背骨なんかないみたい
フラフラ定まらない頑固者
何度もなんども転んでは膝に血が滲むし手のひらは砂だらけ
でも…わたしは乗りたいのよ、あなたに。

日が傾く速度に負けじと
何度も向き合うけれど、結局は数日かかったんじゃなかったかと思います
結局は、わたしの勝ち。
耳障りなあの音ともすっきり決別してすいすいすい、と風を切る心地良さが手に入りました

この経験があったからこそ。
子ども達が自転車に乗りたい、と言い出したときには
家の前の緩やかな傾斜を使って
パパにペダルを外してもらって…
すぅーい、と両脚を上げて滑り降りる練習から始めました

子ども達ってほんとにバランス感覚が素晴らしくて
かつ、「乗りたい!」という気持ちが突き動かすときには
あれよあれよと課題をクリアして行くものなのだと知りました

いま、孫ちゃんの世代となり
補助輪なし、ペダルなしのバランスバイクにまたがって
よいしょよいしょと駆け回る子を目にすることが増えました
ちゃあんとみんな、ヘルメットをかぶって頬を上気させて。

はあ?補助輪なし?
はあ?ペダルすら外す??
そんな、非常識がもはやジョーシキに。

わたし達が囚われがちなそれ
実は固定されたものなんかではなくて
いつでも自在に変化するものなのですね
時代の移り変わりの面白い時期にここに居ること
子ども達という”可能性の塊”がそばにいること
とてもラッキーだな、と思います

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA