今日、8月6日は世界で初めて核爆弾がわたし達の命を覆った日です
目に見える何もかもが一瞬でその姿を破壊し尽くされ
“実験”を行ったひとのエゴによって
ヒロシマの街の灯りと希望と愛が蹂躙されました
わたし達、日本人の子ども達は夏休みの中日、この日を振り返る習慣を守られています
わたし達がわたし達である証。
教室に集う未来を担う”可能性のかたまり”達と
それを支えたいと考える大人たちに見えているものは
かつての蛮行への怒りを土台に据えた正義のシュプレヒコールをあげる姿ではなく、それでいて
二度とその過ちに陥らないためにという強い信念のもと
かつてのわたし達の受けた痛みや哀しみ、苦しさ辛さに思いを馳せ
誰かを悲しませることがもうないように考え、行動したいと自らに誓う未来なのかもしれません
平和授業で語られることは
かつて起きたこと、もたらされたもの、その背景
そして当事者達の声、など。
そのなかで「同じ目に遭わせてやりたい」と公言するひとはいません
各々の中に燃えたぎる怒りさえ、わたし達は宥める術を持っています
他者はわたし達の心を殺すことが出来ない
そんなことに、いつか誰かが気づいてくれるような気がします