家に帰る、という意味
家に帰る、という意味

家に帰る、という意味

夏休みも残すところあと10日
今週はママが家にいたから、毎日あれこれと動きがありましたが
良くも悪くも煮詰まりつつある子ども達
そりゃそうだわな、約1ヶ月朝から晩まで共に過ごすんですもの。
あまりにもブーブーうるさいので、気分転換に出かけよう!となって
昨日は”お盆は禁忌”と実しやかに語り継がれる海へ出かけて来ました

夏も盛りを過ぎた頃、水遊びも板についた子ども達が海や川への畏敬の念を忘れ
傍若無人に振る舞うことのないように、との戒めが
いつの間にかお盆に帰って来てくれたご先祖の霊に引きずられて…なんてことになっちゃってね。
ご先祖をなんだと思ってんのよ、ぷんすか。
てな声が聴こえてくるようです(笑)
あたしゃそんなに恐ろしげなものじゃあないもの、ってね。

と、まあいろいろと思うところはありつつも
何処までもふところの広く、また深い海原を
視力の限界まで見渡せる岬の山頂へのぼり
遥か下でゴーゴーと鳴る海の音のあまりの力強さに圧倒されたかと思うと
帰りの道々、海岸線をなぞるように自宅を目指す途中では
まあまあ少しお寄りなさいよ、と気前よく招かれたから
少し水嵩の増した潮溜まりへ子ども達と降りてみました

そそくさと目の前を横切る小さな蟹や
いつかの食卓に上がったニナ貝の赤ちゃんに歓声を上げる姿を
遠くの岩場からじ、っと見下ろす白い海鳥。

まだ帰らない、もう少しあと少し、と
気づけば空には上弦の月よりもいくらか丸みをおびたお月さまが覗いていて
水面に揺れるひかりが彼女のそれである、と
テトラポット達が口々にわたしに教えてくれました
「もう、良い加減なのだからお家へ帰りなさいな」

さーて、じゃあそろそろ帰ろうか。
大のお気に入り、セメント工場群をぶった切る県道をこれまたじっくり味わいながら走ると
「あゝ、家に帰りたくない」と子ども達が言い始めました
そうね、その気持ちもわからなくはないけどね。

この夏休みは子ども達にとって新しい経験がたくさんありました
いやいや進める宿題なんかはそっちのけで
絵を描いたり工作をしたり、イベントのお手伝いやベビーシッターも!
体験をさせてもらえるだけでもありがたいのに、なんと袋に入ったお給料までいただいて。
インプット、インプット、インプットが続く日々だったかもしれません

わたし達はたくさんの経験を積み重ねるように生きています
人生が、それらを通して自分が誰なのかを知るための旅ですが
インプットが続くとちょいとばかりオーバーフロー気味になってしまうこともあります

インプット↔︎アウトプットではありますが
オーバーフローする、ということはインプットした情報を処理しきれていませんから
そもそもアウトプットすることもかなわない場合が多いのだと認識することが大切です

たくさんのイベントで、様々なひとに出会い感情が昂ったり
自然という無限のエネルギーに浴したときに得られる喜びも
ポジティブなものだからと取り込むことにフォーカスしすぎると
三次元でのバランスをとるために、吐き出すことが必要になります
入れる、出す、は二極なので互いに作用しあい、意図的にその動きから別の動きに変化させない限り永遠に続こうとします
それは、ややもするとわたし達を疲弊させることにも繋がりかねません。

おうちに帰ること、はそれらをいったん手放すという意味があります。つまり、リセット。

楽しいことがあったね、も
辛いことがあったね、も
自分の中に”帰るべき場所”を見つけたなら
振り子のようにあっちゃこっちゃに揺さぶられることもなくなります

で、なんだかじーっとしてたらつまんないなって思うなら
そろりとそこからまた身を出して
わ!楽しい!を味わえば良いんです

ね。疲れたならお家に、帰ろう。

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