日の出と共にジージーと賑やかだった蝉の声が聴こえなくなり
代わりに、そよと吹く風の冷たさに潜む秋の気配が存外に強まっていて
ああ、もう夏が行ってしまうのだと名残惜しさを覚える季節になりました
とはいえ子ども達がわらわらと道のわきに隊を成して歩き始める頃には
いやいや、そうは行きますかと(笑)まだまだ元気いっぱいの陽射しがいつも通り濃い影を作ります
昨今、日傘をさして登校する子ども達が増えたなと気づきます
街を行き交うひとの中にはビジネスマンと思しき男性も半数ほどは銀色のシンプルな傘をさしています
そうよね、だって地球が変化しているのですもの
わたし達だって変わって行く
個人的な感覚としては「今日から変わる」ことの波が全体の流れになるのかもしれません
サッカーの試合の観衆たちのウェーブだって
あ、次はわたしが立つ番だ!ってことでしょう
隣の誰かより少し早くたって、少し長くたってかまわない
座りっぱなしだってかまわない
昨日、とある漫画が話題になっているという記事が目に留まりました
児相の向き合う課題を題材にしているとかなんとか。
社会の影だと思われている児相。
記事のタイトルが気になりました
「親にならないほうが良いひとのほうが子どもを産む」的なニュアンスだったと思います
反射的にとてつもない違和感を覚えたので記事は読みませんでした
子どもを巻き込む事件が増えているような気がするのはもしかすると事実です
産まれた瞬間に窓から投げ捨てられる子がいて
立っちもまだ出来ない頃に数日ひとりで家に残される子がいて
ある日現れた知らないお兄さんに床に叩きつけられる子がいます
「わたしを殺して」と学校で叫ぶ子がいて
大好きなお父さんの手にかかって命を落とした男の子がいました
でもね、一番哀しいのはそんなニュースを見たあなたが
自分は彼らではないと思い込みたいこと。
あいつらは人でない特別な悪いヤツなのだと断じること。
わたしの中にも彼らがいるのではないか?
そんな、疑いにも似た小さな問いを持ち続けること自体が
本当はとても大切なことなのかもしれません
例えば子ども達が宿題をそっちのけにして消しカスを丸めているのを詰ること
保育園への道々、車の輪止めにいちいち片足で登りたがるのを叱りつけたこと
ストローの挿してあるミルクを延々吹くからとコップを取り上げたこと
その、小さな小さな何かがいつの間にか大きなうねりとなり誰かを破壊しかねない?
そんなことは自分には関係ないことなのだと思い込むこと
ビッグウェーブはまだまだ対岸の火事だと放置すること。
いつあなたは立ち上がるのですか
早すぎるから恥ずかしい?
学級の全員が日傘をさしたら買おうかな?
その日の来る前にあなたが熱中症で倒れませんように
道端で煮えたぎるアスファルトに頬を任せながら後悔する日が来ませんようにと祈るばかりです
“昨日まで”から移ろうこと
怖がらずにやってみたい、とまずは自分に許可して欲しいのです