今月最後の日曜日(からの一週間)をもってカトリック教会暦では今年の一年を閉じます
16歳のとき
人吉の怪しげな霊能者さん?とかいう爺さまに
「あの子(わたしのこと)はダメ。キリスト教のエネルギーが強すぎるからダメ。」と
謎のダメ出しをくらって驚いた日から30余年。
なんだかんだで暦がカチッと合わせてくるわと
事あるごとに再確認させられる日々にも少しずつ慣れました(あくまでもわたしが基準ww)
この週末…というよりこの一年はとにかくいろいろな方に出会いました
皆さん超一流で、それぞれのSTORYが奥深くて驚かされてばかり。
その締めくくりに相応しい方に出会うための旅だった、という言い方の方がしっくりくるような気もします
今回の旅は六男のリクエストにより
我が家だけ(だと思ってる)の特別な、小さな小さな神社へのお詣りが旅の始まり。
以前のお詣りのときに置いた狛犬の足元のお金がどうなっているのか確認したい、とのことで
キリリと身が引き締まるような冷たい空気の中お詣りしてきました
ここは、ひとの気配がしないけれど決して寂れてしまっているわけでもなくて
おそらく、祠などがひとの手で建てられるずっと前と変わらず此処にあるのだと思わせてくれる場所です
神社というのは不思議なもので
参拝者の数や拝殿の立派さなどには全く関係なく力が漲っていたりするし
逆もまた然り、どんなにひとでごった返していても肝心のところがすっからかんだったりしています
さて、わたし達家族が年に一度の家族の日に定めたのが
まさにその教会暦の終わり頃である勤労感謝の日を含む週末。
必ず訪れたい場所…わたしの最大のお気に入りである阿蘇のカルデラ。
そこに惹きつけられてくる人々は大地のエネルギーに共鳴しているように感じます
「此処が好きだから」
その、シンプルで真っ直ぐな思いが
まるでドラゴンボールのあの珠のように巨大な力になり
そこを訪れるわたし達に宿る力を揺さぶって目覚めさせてくれます
今年は、曇天にかかる虹がわたし達を迎えてくれました
世界がどんなに曇っていても虹はやっぱり虹なのです
優しいシャワーのようにさーっと舞った雨粒を感じたとき
わたし達を歓迎してくれていること、その徴として虹をくれたことを理解しました
そんなこと、あるわけないと思うひとにはそのとおりに
あるのだと思うひとにはそのとおりに。
信じるものは救われるというのは相対的なそれではなく絶対的価値観においてそうなのだ、と
そう思うも思わないも自由。
自由に生きる人に出会ったこの一年の締めくくりがあまりにも美しくて
これを、天の祝福とせずにいられようかと
まるで全世界に派遣される弟子達のように誇らしいわたしなのでした
来る年はもっとたくさんのワクワクに出会えますように