と思うの。
わたしは何より退屈が苦手だもので
どんな些細なことからも何かを見つけて考えることが好き
得意技は”必殺 掌返し”
さっきまでと言ってること違うやん?と相手に言わせたらこっちのもの
よく、言葉尻をとらえてあーだこーだ言うだとか
挙げ足取りばかりするだとかって文句を言うけれど
そいつら もとい。その方々っつーのは
わたしの言葉を隅々まで知っているということなわけで
ああ、そんなこと言ったっけとリマインドさせてくれたりする存在だものね。アリガタヤ-
それで何だっけ←久しぶり
ああ、そうそう。
そういうヤカラもとい、方々と←しつこい
対峙することって人生においては多々あるわけね
あそこ行きたいねここ行きたいねと楽しんでいたら
今日行かないママは嘘つきだとか言うしさ
お布団買い替えたいねなんて話に出たから買って帰れば
わたしの靴を買う方が先だったはずなのにひどい!とか言い出す別の子がいたりだとかさ
まあただのグチなわけだけどもww
そういうおバカさん達を相手にする日々の中で
いかにして相手に、それとは気付かれないうちに自分の通したいことを通すかというスキルを身につけた…
というよりは、もともと持っているものの精度が増したというか使えるように整ったというべきか。
相手が変わるとその時々で対応も変化するわけだから
ハタから見ればわたしはコロコロと変わっているように思えるのでしょうね
その手の批判もわたしにとっては嬉しいことなわけで…
だってさ、スルーされちゃうのが一番つまらないもの。
なんて。
調子良くいうかと思えば突然感情のままに腹を立てたりするわけだけれど
それで良いと思うの。みんなが、ね。
変にルールなんか作るから守っただの破っただので一悶着起きるわけでしょう
最初からそんなもんが無きゃその部分”だけ”に拘るとかいうバカげた時間を持たなくて済むのよね
え?ルールがないと集団がどうにかなっちゃう?
ならないのよ、それが。
そりゃあれこれ対応することは増えるの、爆増!
だけどそれは本来のあるべき姿というか切磋琢磨というかさ
ひとがひととして生きるってそういうことなのよ、知らんけど。